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イギリスののどかな春の野原と上生菓子ねりきり
2014/04/27(Sun)
日本では桜のシーズンが終わり、
ゴールデンウィークを迎えようとしていますが、
こちらイギリスでは先週末が、
春の到来を告げる4連休のイースター(復活祭)でした。


去年のイースターは
まだまだ深い雪におおわれていたイギリスですが、
今年はお天気にも恵まれて春爛漫のイースターとなりました。
今回は、そんな田舎ののどかな野原の風景をご紹介……。

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出かけた場所は、
イングランド最北端の国立公園
ノーサンバーランドナショナルパーク
(Northumberland National Park)。


毎年、この時期になると、
歩行者用の歩道パブリックフットパスの入り口には、
こんなサインがお目見えします。

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「子羊の生まれるラミングシーズンです。
親子の羊に驚かしたりしないように気配りを」
などといった春の野原での注意事項が記されています。

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さて、牧草地に通じる
パブリックパスに踏み込むと……。


右を見ても、

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左を見ても、

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ベビーブーム。

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また別の日の別の場所でも、

P1160335z.jpg

ベビーブーム。

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ここは、
スコットランドとの国境に近い
チービエット丘陵(Cheviot Hills)。

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小さな教会の向かいの丘をのぼっていくと、
丘のいただきの谷間には名残り雪。

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標高600メートルばかりの丘ですが、
じょじょに地上が遠のいて、

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ほら。いつしか
ふもとの教会があんなに小さくなって……。

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丘の上にのぼりつめると、
一面のへザー(ヒース)。

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ここへは、へザーが花をつける
夏の終わりにもう一度来なければ……。


あたり一面が
赤紫のへザーの花のカーペットにおおわれている様子を
想像しながら歩いていくと、


その先には、
春ならではの風景が……。

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イギリス名物フィッシュ&チップスを揚げる
菜種油をとるための菜の花。


緑の野原に黄色い菜の花のパッチワークは
イギリスの田舎の春の風物詩なのです。


ノーサンバーランドナショナルパークの
ウォークを楽しんで帰宅したあと、


その春の風景に触発されて、
イギリスの春の田舎をイメージした
上生菓子ねりきりを作ってみました。

P1160542z.jpg

緑の草原に親子連れの羊の群れと、
黄色いパッチワークの菜の花。

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さらに、
日本の春を懐かしんで、
桜の花も……。

P1160178z.jpg

さて、いよいよ日本もゴールデンウィーク、
みなさまも春爛漫のご行楽をお楽しみくださいね。






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エイプリルフール史上イギリス人が最もだまされた嘘!
2014/04/01(Tue)
今日は、年に一度のエプリルフール。
ユーモアのセンスに富んだイギリス国民、
毎年、エイプリルフールには
国をあげていろいろな嘘が飛びかいます。


今日は、その中でも、
今や伝説の域に達している
英国エイプリルフール史上最強の嘘をご紹介します。




それは、「スパゲティーの成る木」




「えっ!スパゲティーの成る木なんて信じる人いるの?」
という声が聞こえてきそうですが、
たしかに、現在ならこんなヤワな嘘にひっかかる
イギリス人は滅多にいないでしょう。


ところが、
この嘘がつかれたのは1957年のこと。
当時はスパゲティーが今ほど普及しておらず、
異国の珍しい食べものだったのでした。


しかも、その嘘をついたのは、天下の英国放送協会BBC
(ご存じのことと思いますがBBCとは日本で言うと、NHK)の
「パノラマ(Panorama)」という番組。


「パノラマ」は、
現在も続行中の社会問題の真実
追究する報道番組なのです。


当時の視聴者は、
まちがっても「パノラマ」
嘘の報道をしようなどとは
夢にも思っていなかったでしょう。


さて、その内容はというと、
イタリアとの国境に近いスイス南部で
例年より2週間も早くスパゲティーが収穫されたというもの。


実際にスイスまで出かけて撮影してきた映像は、
スパゲティーの木からしだれるように実っているスパゲティーを
スパゲティー農家の娘さんが一本一本ていねいに収穫している様子。


収穫されたスパゲッティーはそのまま天日に干され、
夕刻には調理されて食卓に。


そのスパゲティーに舌鼓を打つ人々が映し出され、
当時、BBCきっての看板アナウンサーが
自家栽培のスパゲティーの味にまさるものはないなど、
生真面目な口調でそのまっ赤な大嘘を締めくくっているのです。


映像の方、
日本からご覧になれるかどうかは不明ですが、
BBCのサイト内の記事と映像は、こちら


ちなみに、この放送後には、
BBCにスパゲティーの木の育て方の
問い合わせが相次いだのだとか……。






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グラスゴー大聖堂&聖マンゴー宗教博物館
2014/02/25(Tue)
短い冬の日が傾こうとするのと
競い合うかのように、
グラスゴーの街の中心から
東へ足をのばしました。


正面に見えてきたのが
目的地のグラスゴー大聖堂(Glasgow Cathedral)。

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ですが、まずは、
大聖堂広場キャセードラルスクエアをへだてた
こちらの博物館へ。

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聖マンゴー宗教博物館
(St Mungo Museum of Religious Life and Art)。
こちらは大聖堂側の入り口で、
道路に面した反対側にも入り口があります。


6世紀に生まれた聖マンゴー(Saint Mungo)は、
グラスゴーの街と大聖堂の礎を築いた
グラスゴーの守護聖人です。

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博物館内には、地元スコットランドにとどまらず
世界各地のさまざまな宗教や宗教美術、
宗教が人々の暮らしに果たしてきた役割などを
知ることのできる4つのギャラリーがあります。

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その中で、
ふと、目にとまり、
足を止めたのは、こちら。

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なぜ……。

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と思って、説明に目を通してみると、


お内裏さまとその奥方、
つまり、日本のエンペラーとエンペレスは、
その昔、神として拝められていたとのこと。


なるほど。
だから宗教博物館に
展示されているってわけなのですね。


しかし、こんなところで、
懐かしいお雛さまに出会えるとは。


博物館でよく見かける日本の展示物って、
多くの場合、ヨロイカブトにネツケって
感じですからねえ。


高貴にして、
何ともおだやかなおもざしのお雛さまに、
ほっと心がなごむようでした。


さて、マンゴー博物館を一巡したあとは、
お目当てのグラスゴー大聖堂へ。

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礎を築いたのは聖マンゴーですが、
グラスゴー大聖堂の建物自体は、
12世紀から建造がはじまりました。

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スコットランドのゴシック建築の好例とされ、

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スコットランドの島々をのぞく
メインランドの大聖堂としては、
唯一、宗教改革を生きのびたこの大聖堂。

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随所にその古さをうかがい知ることができます。

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イギリスの大学では4番め、
スコットランドでは2番めに古い
グラスゴー大学もこの大聖堂に
併設されたのがはじまりなのだそうです。

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さらに、地下へ。

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薄暗い地階には、
聖マンゴーの墓石が
安置されています。

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再び地上へ石段をのぼっていくと、

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まばゆいばかりに
お日さまの光があふれていて……。


この場所が神の国へと導いてくれる
地上の入り口だと信じられたことも
うなずけるような気がするのでした。


大聖堂を出ると、

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東の高台に望めるのは、
ビクトリア朝時代に造られた
グラスゴーの共同墓地ネクロポリス
(The Glasgow Necropolis)。


3,500におよぶモニュメントの地下には
5万人の人々が永眠しているとのこと。


時間があったら見て回りたかったのですが、
遠めにながめて、
グラスゴー大聖堂をあとにしました。






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リバーサイドミュージアムへ行こう!
2014/02/23(Sun)
「グラスゴーへ行くなら、
リバーサイドミュージアムへ行こう!」



なんてことになったとき、
てっきり、グラスゴーに
新しくできた博物館だと思ったら、


クライド川のほとりに移転した
交通博物館だとのこと。


なあんだ。
交通博物館なら、
すでに何回か出かけていて、
もういいかなという感じ。


ところが、この新生交通博物館、
バクダッド出身の気鋭建築家
ザハ・ハディド(Zaha Hadid)女史の
設計によるものだとわかって、


これは、ぜひ、ひと目見てみたいと、
興味津々で足を運んだのでした。


(ちなみに、
東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場も、
同氏の設計で建設されるのだそうですね)

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さすが、世紀の建築家ザハ・ハディド、
移転以前の倉庫を思わせる交通博物館に比べると、
何とも斬新でスタイリッシュなデザイン。


それは外観だけではありません。
博物館内に一歩足を踏み込むと、

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お天気のよくないこんな日にも、
広々とした空間を抱き込んだ館内は、
自然光がふんだんに反映される造りになっていて、

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展示物のディスプレイの仕方も、
目を見張らされるばかり。

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22のギャラリーに
世界各地から集められた8,000点に及ぶ
さまざまな乗り物が展示されています。

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世界最古の自転車とか、

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なるほど、霊柩車も乗り物なら、

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乳母車も、乗り物。


キルヴィングローブ・アートギャラリー&ミュージアム
(Kelvingrove Art Gallery and Museum こちらこちら)に
隣接していたころは、その陰に隠れた地味な存在でしたが、


2011年6月に
リバーサイドミュージアムとして
再オープンして以降、


2012年には、
European Museum Academy Micheletti prize
for best European Scientific, Industrial
and Technical Museum
(原語で失礼します)、
という賞を受賞し、


2013年には、
European Museum of the Year
という賞を受賞しています。


そして、川沿いに移転したことにより、
新しいアトラクションが加わりました。

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1896年に地元の造船所で建造された
帆船グレンリー(Glenlee)。

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現役時代の内部が再現され、

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リバーサイドミュージアム同様、
無料で見学できます。

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グラスゴーは観光都市ではない
などと言われたりもして、
正直のところ、
同感だったりしたわたしでしたが、


今回、観光スポットを
あちこち回ってみるにつれ、
おや、そんなこともないぞと
グラスゴーを再認識させられました。


お天気にも恵まれず、
底冷えのする日ではあったのですが、


もう一箇所、これまでに訪れたことのない
グラスゴーの観光名所グラスゴー大聖堂に
足をのばしてみることにしました。


次回は、そのもようをお届けします。




リバーサイドミュージアム(Riverside Museum)
100 Pointhouse Place, Glasgow, G3 8RS
月曜日-木曜日:10am-5pm
金曜日:11am-5pm
土曜日:10am-5pm
日曜日:11am-5pm
TEL.:0141 287 2720
サイト:http://www.glasgowlife.org.uk/museums/riverside/Pages/default.aspx






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マッキントッシュの家を訪ねて
2014/01/26(Sun)
グラスゴーが生んだアールヌーボーの建築家
チャールズ・レニー・マッキントッシュがデザインした
ウィローティールームに続いて、


今回は、マッキントッシュ夫妻が
1906年から1914年まで暮らした自宅
マッキントッシュ・ハウス(The Mackintosh House)を
訪ねたときのもようをご紹介します。


その自宅、グラスゴー大学のキャンパス内の
ハンタリアン・アートギャラリー(Hunterian Art Gallery)に
併設されています。

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英語によるガイドツアーのみですが、
日本語の案内カードも用意されています。

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こちらが、マッキントッシュ・ハウス。
玄関のドアは閉め切りになっていて、
先のハンタリアンアートギャラリーの中から
内部へ入ります。


ガイドさんの説明によると、
オリジナルの自宅は100メートルほど離れた場所に
あったものを現在の地に移転したとのこと。


外観は実際の家とは異なるものの、
内装や家具類はマッキントッシュ夫妻が暮らしていた当時を
忠実に再現してあるのだそうです。


残念ながら内部の撮影は禁止。
ですが、ハンタリアンアートギャラリーのサイトで、
その一部がご覧になれます。


こちらをクリックして、
表示された画面の写真の右上にある矢印ボタン、
あるいは、画面下にならんでいる写真をクリックすると、
それぞれの写真が拡大され、各部屋の説明が表示されます。


各部屋の設計や内装、家具類は、
マッキントッシュ夫妻によるもの。


それぞれの部屋の随所に、
夫妻がこの家に注ぎ込んだ細やかな愛情と、
ほかに類を見ない才能が感じられました。


これまで、この近くにある
キルヴィングローブ・アートギャラリー&ミュージアム
(Kelvingrove Art Gallery and Museum こちらこちら)や

マッキントッシュの作品が多く展示されている
スコットランドの建築、デザインのセンター
ザ・ライトハウス(The Lighthouse)も訪れたのですが、


この自宅を訪れるまで、
マッキントッシュのデザインよいなと思っても、
ファンというところまではいかなかったのですが、
今回、すっかり魅了されてしまいました。


マッキントッシュ・ハウスを見て回りながら、
マッキントッシュ夫妻のような才能があったらなあ。


その才能で設計し、内装をほどこした家で、
手作りの家具に囲まれて暮らすことができたらなあ
なんて考えてしまいました。


グラスゴーにマッキントッシュゆかりの
観光スポットは数々あれど、
このマッキントッシュ・ハウスお勧めです。


マッキントッシュのデザインがお好きな方は、
ウィローティールームと合わせて、
ぜひ訪ねてみてください。


それから、さらにお時間のある場合は、
マッキントッシュ・ハウスと同じく
グラスゴー大学のキャンパス内にある

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ハンタリアン・ミュージアム(Hunterian Museum)へも
足を運んでみられてはいかがでしょうか。

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さすが、1451年創設、
560年あまりの歴史を誇るグラスゴー大学。

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ちなみに、
オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、
セント・アンドルーズ大学に続き、
イギリスで4番めに古い大学だけあって、

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建物の風格と重厚さには、
まったく舌を巻いてしまいます。

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大学の創設ほど古くはありませんが、
1807年にオープンした
このハンタリアン・ミュージアムも、

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スコットランドの公共の博物館としては
最も古い歴史を誇る博物館とのこと。

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建物も含めて
一見の価値ありです。

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ハンタリアン・アートギャラリー(Hunterian Art Gallery)、
マッキントッシュ・ハウス(The Mackintosh House)、
ハンタリアン・ミュージアム(Hunterian Museum)の
開館時間は、火曜日から土曜日:10.00am – 5.00pm、
日曜日:11.00am - 4.00pm。月曜日は閉館です。


また、マッキントッシュ・ハウスの
最終ガイドツアーは閉館の1時間前からとなっているので
注意が必要です。


入館料はいずれも無料ですが、
ハンタリアン・アートギャラリーの特別展のみ有料です。
さらに詳しい情報は、こちらのサイトでご覧ください。






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父さんは確信犯?
2014/01/21(Tue)
仕事に出かけるイアンを
見送りに玄関まで出たところ、


車に乗り込もうとするイアンが
元気のない声で
ぼそっとつぶやいたことには、


「昨日の朝、
ユインが歩いているのに追いついたんだけどさ」



うん。それで、


「何でだか、あいつ。
こりゃまずいなって顔してさ。
他人のふりして、そっぽ向きやがってさあ」



うん。よ~くわかるよ。


「そりゃあ。イアンちゃんが
ユインと同じ学校の子たちがゾロゾロ歩いている通学路で
わざわざ車を徐行させて、


大声で、
『アイ ラブ ユ~。ユイ~ン!』
なんか叫ぶからじゃあないの?」



「うん。まあ、そうなんだけどさあ」


「でしょ。でしょ~っ」 


でも、そんなことばかりしてると、
そのうちユインに
家の中でも他人のふりされかねないわよ。


と言おうとしていると、


「じゃ、ま、行ってくるよ」


さっさか車に乗り込むので、


「今朝は、叫ばない方がいいと思うけど」


と言うと、


「うん。わかってるさ。
今朝は、ちょっと趣向をかえて
投げキッスでもしてやろうかなって思ってるんだ」



それから、バァ~イと片手をさしあげると
通学中のユインに向かって車をばく進させていく
まったく懲(こ)りないトーサンなのだった。









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子どもはおとなの父である
2014/01/21(Tue)
子どもの成長は速い。速いと感じる。
それはもしかしたら、
おとなが成長しないからなのかもしれない。


うっかりしていると
いつのまにか追いこされていて、
すごすごと後ろをついていくなんてことになりかねない。


まあ、子どもはそうでなくちゃあいけない。
英国ロマン派の詩人ウィルアム・ワーズワースも言っている。
「子どもはおとなの父である」と……。


学校から帰ってくるやいなや、
それまでパソコンの座席を暖めていた
わたしを追いやって、
パソコンの前に陣どるユイン。


イアンが帰ってくるまでパソコン画面にはりついて
お気に入りのサイトをチェックしたり、
パソコンゲームに興(きょう)じることに余念がない。


リビングのまん中に
学校カバンが放りっぱなしになっている
こともしばしば。


仕事から帰ってきたイアンが
それを見つけて声をはりあげる
こともしばしば。


という今日も、
仕事から帰ってくるなり、
イアンがパソコンに向かうユインにかけた第一声が、


「どうして、まだこんなところに
学校のカバンが転がってるんだ~っ!」
 


何しろ軍隊あがり、
イアンが本気になるとそんじょそこらの
カミナリ親父どころじゃあない。


まだこのくらいの口調のときに
速やかに対処しておくのが賢明なやり方だと
ユインは幼いころから心得ている。


そこで、
しおしおと学校カバンを引きずって
片づけ体勢には入ったものの、


「そりゃ、トーサン。ぼくが学校から帰ってから、
まだ誰もそこからカバンを動かしていないからだよ」
 


シラっとした顔でイアンに言い返したかと思うと、
キッチンで夕食作りにいそしむわたしの方に向き直り、
ニカっと八重歯を見せ、親指立てて、グーッ!


おおっ。
ユインも、けっこうやるじゃ~ん。


カバンを片づけると、
今度は、キッチンまでやってきたユイン。


ぬぼ~っとした声で、


「今日、何食べるの~」 


背中を丸めて
大儀そうに頭を抱え込むので、


「もしかして、また立ちくらみしてる?」


「うん。ちょっとね」


「母さんも立ちくらみするけど、
ユインはもう母さんよりずっと背高いもんね。
そりゃあ、血が脳までとどくのに長く時間かかるよね」



と言ったら、


「それに高いところの方が空気が薄いからね」


酸欠の頭でよくとっさにそんなこと思いつけたもんだ。









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ぼくは、何人?
2014/01/21(Tue)
イギリスは、
4つの国が寄り集まってできている連合王国。
つまり、寄り合い所帯(じょたい)の国家である。


その4つの国とは、
イングランド、ウェールズ、スコットランドと、
アイルランドの一部である北アイルランド。


だから、イギリス人は、
自分たちをイギリス人と認識するよりは、
イングランド人、ウェールズ人、スコットランド人、
あるいは、アイルランド人のいずれかであると認識している。


イアンの自己紹介の決まり文句も、


「はじめまして。
わたしはイアンです。
スコットランド人です。どうぞよろしく」



血統的に言うと、
イアンの父方の祖母はアイルランド人なので、
イアンは4分の3がスコットランド人で、
4分の1はアイルランド人ということになるのだが、


イアン本人のアイデンティティーは
スコットランド人である。
イギリス人であるとは名のらない。


幼いころのユインは、


「トーサンは、スコティッシュ(スコットランド人)。
母さんは、ジャパニーズ(日本人)。
そして、ぼくは、イングリッシュ(イングランド人)」



と言っていた。


父がスコットランド人で、
母が日本人なのに、
そのあいだにできた子供が
イングランド人のはずがないではないか。


「どうして、イングリッシュなの?」


と聞くと、


「だって、トーサンはスコットランド訛りの英語を話すし、
母さんはジャパニーズ(日本語)を話す。
そして、ぼくはイングリッシュ(英語)を話すでしょ。
だから、ぼくはイングリッシュ(イングランド人)なんだよ」



「いやいや、そういう問題じゃあないんだよ。ユインくん。
母さんだっていくらヘタとは言え日本語ばかりじゃあない、
英語も話すではないの。



それに、イングリッシュを話したとしても、
ユインは日本人の母さんと
スコットランド人の父さんのあいだに生まれてきたんだよ。
そして、ユインだって日本語を話すじゃあないの」



と、再三再四説明し、
言い聞かせても納得しなかった。


どうやら、幼い日のユインには主言語として
「イングリッシュ (英語)を話す人々」=「イングリッシュ(イングランド人)」
という図式ができあがっていたらしい。


そのユインが小学校を終え、
コンプリヘンシブスクール(中学+高校)に入学したころのこと。


もうそろそろユインも、
「イングリッシュ」という単一の英単語が、
言語と何人であるかの2通りの意味を持つことを
理解するようになっているのではないかと思った。


そこで、幼いころ、
何度繰り返しても埒(らち)の明かなかった質問を
むし返してみたのだった。


「ねえ、ユイン。
今は、自分は何人って思ってるの?」



「イングリッシュ」


えっ。
今でも、そんなに自信ありげに言うのか。


「でもさ、ユイン。
ユインのトーサンはスコティッシュで、母さんはジャパニーズなら、
ユインの体の中にはイングリッシュの血は一滴も流れてないんだよ」



「うん。わかってるけどさあ」


「友だちも、ユインはジャパニーズだって言うんでしょ?」


「うん。だから、まあ、今は、ジャパニーズだとも思うんだけどお」


「そうだろ、そうだろ。
だって、ユインの8分の1はアイリッシュで、
8分の3がスコッティッシュで、
半分がジャパニーズなんだからね。


遺伝的にはジャパニーズの部分が
一番多いってわけだからね」



「でも、やっぱり、
ぼく、イングリッシュだよ」



そこへ、


「まあ、イングランドで生まれて育ってるんだからな。
そういう認識になるってわけさ」



イアンはいやに物わかりのいい父親の口調で言う。


今のところ、未成年のユインは、
イギリス国籍と日本国籍の2つの国籍を持っている。


イギリス政府は成人の二重国籍も認めているので、
とがめだてをすることはないのだが、
日本政府は成人の二重国籍者を認めていない。


だから、二重国籍を持った子供たちは成人に達すると、
その後の保留期間の2年以内に、
日本国籍を保持したい場合はもうひとつの国籍を
放棄しなければならない。


このままでいくと
ユインがイギリス国籍を放棄することはない
ような気がする。


ということは、
ユインは、将来日本人ではなくなる。


それがユイン自身の選択なら
わたしがとやかく言うことは何もない。
アイデンティティーは
あくまで本人の中で確立されるものなのだから。


むしろ問題は、
アイデンティティーがしっかり本人の中で確立されなかった場合に
生じてくるのかもしれない。


将来、
ユインが日本人に自己紹介するときには、
きっとこんなふうに言うことになるのだろう。


「はじめまして。ぼくはユインです。
イギリス人です。どうぞよろしく」



(日本語では、
イングランド人とも、イングリッシュとも言わないから
何人の部分は、やっぱり、イギリス人)


そう日本語で自己紹介できるだけじゃあなくて、
日本語でもっともっとたくさんのことが話せて理解できる
イギリス人に育っておくれ。


それがおとなになっていくユインに託す
日本人の母さんの願いなのだからね。









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いつもとはちょっとちがった朝のできごと
2014/01/21(Tue)
トントントンと階段をかけ上り、
正面のドアを押し開けると、
むふふっ。


夏休み中のユインが、
ふとんと格闘しているがごとき姿でベッドの上に身を横たえ、
すやすやと安らかな寝息をたてている。


そこへ、


「ユ~インち~。母さん、来た~」


と言いながら、
ユインのベッドに飛びのると、


「ううん、ああ」


もそもそと場所をあけてくれるユイン。


ユインの体温でむわ~んと
あっためられたベッドが心地いい。


こうして学校が長期休みの平日に
ユインを起こしに来たついでにユ
インのベッドにもぐり込み、


たわいのないことを
ぼそぼそ話す時間が
何にかえがたくいい。


でも、もうあとどのくらい
こんなことしてられるのかなあ。


ユインは、あと4か月あまりで、
12 (トゥエルブ) 歳から13(サーティーン)歳になって
ティーインエイジャーと呼ばれる年齢になるんだなあ
などと考えていると、


「みやこちゃん。ぼく、ちょっと考えてたんだけどさあ」


ふーん。
いったい、何、考えてた?


「ポープ(教皇)は、
どうしてカーディナル(枢機卿)たちに選ばれるんだろうねえ」



えっ……!?


(英語がネイティブのユイン。
英語で考えて日本語で話すので、
知らない日本語の単語は日本語訛りの英語になる。
ちょうど英語をカタカナ書きしたみたいな)


「選挙で選ばれるんじゃあないの。
ポープ(教皇)が選ばれたら、
白い煙とか、赤い煙とかが煙突から出るんじゃあなかったっけ?」



「うん。だから、ポープ(教皇)は、
カーディナル(枢機卿)に選挙で選ばれるんだけどおー」



ああ、そうだったのか。
「どうして」って選ばれる方法を聞いてたんじゃあなくて、「
なぜ」って理由を聞いてたのか。


「ポープ(教皇)って、
ゴッド(神)のレプレゼンティティブ(代理人)だろ。
なのに、どうして下の人がボスを選ぶのかなあ」



うーん。こりゃまた、ユインは、
母さんには予想もつかない問題を考えてたんだねえ。


「ゴッド(神)がいるなら、
ゴッド(神)がポープ(教皇)を選べばいいのにねえ」



「うん。まあ、そう言われればそうよねえ」


と、とりあえず相づちをうちながら、
日本語はまだまだたどたどしいながら
体の方はぐんぐん大きくなっているユイン、


やっぱり、頭の中にも、
わたしの知らないあいだに
わたしの知らないことを
いっぱい詰め込んでいたんだと思った。


そして、そのわたしの知らない知識を総動員して
これから神の存在についての問題に
自分なりの答えを見い出していくのだろう。


あれっ。
そのとき、宗教上の深遠な問題に
頭を悩ませているユインの困惑する表情に、
わたしは、とんでもないものを見つけてしまった。


ユインの鼻の下に、
ぷくんと赤くはれ上がっている部分がある。
赤くはれた皮膚の下に透けて見える白い油脂。


それは、紛れもない、
ユインにできたはじめてのニキビだった。


そのあと、階下におりて朝食をとろうと、
キッチンユニットからお皿を取り出したときのことだった。


そのお皿は、ユインが2歳のときイギリスへ来た
日本のじいちゃんとばあちゃんが買ってくれたものだった。
「くまのプーさん」の絵がらのついたプラスティック製で、
スープ皿とナイフとフォークのセットになっていた。


さすがに幼児用のナイフとフォークは
すでに使わなくなっていたが、
お皿だけは、今も、毎朝、愛用し続けている。


キッチンユニットから取り出した
「くまのプーさん」のお皿を宙にうかせたまま、
ユインが舌足らずな日本語で遠慮気味に聞いた。


「みやこちゃん。このお皿、もう使わなくてもいい?」


「う、うん。いいよ」


わたしの口からは、
とっさにそれだけしか言葉が出てこなかった。


ユインは「くまのプーさん」のお皿をわたしに手渡すと、
キッチンユニットから別の無地の皿を引っぱり出して、
その上に自分の朝食のパンをのせた。


「くまのプーさん」のお皿を
キッチンユニットにしまいながらわたしは思った。


そっか。
じゃ、この「くまのプーさん」のお皿は、
これからは母さんが使うことにするかな。









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「母の日」の苦悩
2014/01/21(Tue)
家族が
それぞれの思いをつむぐ
「母の日」。


しかし、それは、
「母の日」以前に
すでにはじまっていた。


そして、
その全容が発覚したのは、
「母の日」の翌日のことだった。


イアンが雷を落とした。
前夜、イアンが準備していた校への書類を
家に忘れていったうえに、
先週の宿題を再び持ち帰るのを忘れたユイン。


丸一日、
三度のメシより好きなパソコンに
さわることを禁じられたのだった。


とはいえ、
わたしがユインの部屋をのぞいたのは、


しょげかえっているであろう
ユインをなぐさめるためではなく、


わたしにも、
ユインに確かめておきたいことが
あったからだった。


ユインのベッドにならんで腰かけた。


「ユイン、よく物を忘れるよね」


「そうだよね」


自覚はあるらしい。


「じゃあ、昨日、何の日だったか知ってる?」


「うん、それ、ちょっと」


「えっ、知ってたの?」


「うん、今日、学校で友だちが言ってたから」


「なんて言ってたの?」


それには答えず、ユイン、


「昨日は、みやこちゃんにカードあげなくてごめんね」


「いいんだよ。母さん、カードなんかいらないもん」


正直な気持ちである。
なぜなら、ユインがくれるわたしへのカードは、
イアンが買ってきてユインに書かせているからだ。


そのイアンの心配りにわたしは感謝している。
けれども、わたしはイアンの母親ではない。
わたしはユインの母親なのだ。


だから、「母の日」にユイン経由で
イアンからカードをもらっても
心の底から嬉しいという気持ちにはなれない。


いったい、イアンは一生、
わたしに「母の日」のカードを
贈り続けるつもりなのだろうか。


わたしは一生、
ユインから「母の日」のカードを
受けとることはないのだろうか。


今年こそ、
はっきり言おうと思っていた。


「母の日」のカードは買わないでと、
イアンに。


そして、
「母の日」にはチョコレートか花束をと、
ユインに。


ところが、
うっかり忘れてしまっていた。


気がついたのは、
「母の日」当日のことだった。


すでに遅かったと思っていると、
奇妙なことに、「母の日」は
いつもの日曜日と変わることなく
あっけなくすぎさっていった。


ということは、
今年の「母の日」には、
ユインからチョコレートも花束も
贈られることはなかったが、


少なくとも、
イアンから「母の日」のカードを
受けとることもなかったわけである。


そのことが確かめられればじゅうぶんだ。


これで、来年も、もうその先ずっと、
イアンが「母の日」のカードをユインのために
買い与えることはないだろう。


並んで腰かけている
ユインのベッドから腰をあげようとするわたし。


ところが、
そのわたしより一瞬早く
ユインがベッドから飛びおりると、


「ごめんね。ちょっと忘れてて」


何をごそごそ、
机の上に山積みになった
オモチャや文房具や衣類や本を
ほじくり返しているのだ。


「へへっ。ここに隠してあったんだ」


ユインがさし出したのは、
まちがいなくカードの入った封筒。


「これ、みやこちゃん、ほしーい?」


と、
手わたしてくるではないか。


「まだ、何も書いてないんだけどね」


って、何なのよっ。


「ユイン。
それっ、トーサンが買ってきたんでしょ!」



「てへへっ」


「で、ユイン、書き忘れてたんだね」


「てへへっ」


「何も書いてないなら来年にとっといたら」


「ああ、そうだねえ~」


いかにも名案だというふうに
目を輝かせるユインの表情が、
その一瞬のあと、かきくもった。


「でも、みやこちゃん。
このこと、トーサンには言わないでくれない? 
お願いだから



そうだよね。
こんなことがトーサンに知れたら、
この先1年くらいはパソコン禁止令解けそうにないもんね。


「母さん、何も言わないよ」


「ありがとう~」


そんなにまゆ毛八の字にさげて、
手を合わせておがまなくてもいいよ。


「でも、変よねえ~」


何がという顔つきをするユイン。


「トーサン。どうして気がつかないんだろ。
自分で買ってユインに手渡しておいたカードが、
『母の日』になっても、『母の日』をすぎても、
母さんに贈られてないの」



「そりゃあ、遺伝だからねえ」


と、ユイン。


「だから、ぼくがこんなに物忘れするんだよ」 


なるほど。
それで、きれいにつじつまが合う。


「でもさ。トーサン。
来年、また『母の日』のカード買うのだけは、
絶対に忘れないと思うな」



「そうかなあ」


「そうだよ。
街のあちこちにいやってほど宣伝出るじゃあない」



「あっ、そっか」


こうして、
毎年繰り返してきた「母の日」の苦悩は、
また来年へと持ち越しになったのだった。


そして、それからイアンと顔を合わせるたびに、
喉もとを越えようとする「母の日」という言葉を、
ユインの八の字まゆ毛を思いうかべては
ぐっと飲みくだしながら、


どうしてこの世に「母の日」なんてものが存在するのか、
どうして母であるわたしが「母の日」に
こうももてあそばれねばならないのか、
もんもんと苦悩する今日このごろなのである。









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